社会福祉法人 全国手話研修センター
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手話日本憲法

手話言語研究所

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前へ 次へ 【解説】基本的人権
3つめの原則[げんそく]基本的[きほんてき]人権[じんけん]尊重[そんちょう]

憲法[けんぽう]には3つの原則[げんそく]があります。1つめは、国民[こくみん]主権[しゅけん]、2つめは、平和[へいわ]主義[しゅぎ]、3つめは基本的[きほんてき]人権[じんけん]尊重[そんちょう]でした。

ここでは、3つめの「基本的[きほんてき]人権[じんけん]尊重[そんちょう]」について、[くわ]しく説明[せつめい]します。
人権[じんけん]とは

人権[じんけん]とは、人間[にんげん]みんな[]まれつき[]っているものです。[]こえる[]こえない、男女[だんじょ][]ども大人[おとな]かどうかには[かか]わりなく、みんな人権[じんけん][]っています。これは「一人[ひとり]ひとりが大事[だいじ]にされなければされない」との[かんが][かた][もと]づいています。憲法[けんぽう]13[じょう]も、[おな][かんが][かた]です。「すべて国民[こくみん]は、個人[こじん]として尊重[そんちょう]される。」と[さだ]めています。
人権[じんけん]はなぜ大事[だいじ]

人権[じんけん]はなぜ大事[だいじ]なのでしょうか。憲法[けんぽう]97[じょう]では、人権[じんけん]について「人類[じんるい]多年[たねん]にわたる自由[じゆう]獲得[かくとく]努力[どりょく]成果[せいか]」と説明[せつめい]しています。
かつては、王様[おうさま]殿様[とのさま]など[えら][ひと][おも]いついて[めい]じたら、人々[ひとびと][したが]わなければいけない、[えら][ひと][][きら]いで、人々[ひとびと][いのち]財産[ざいさん]簡単[かんたん][うば]われる時代[じだい]がありました。また、女性[じょせい]だから、障害[しょうがい]があるから、学校[がっこう][]けない、仕事[しごと]できないという時代[じだい]もありました。ろう[しゃ]も、かつては[みみ][]こえないことを理由[りゆう]運転[うんてん]免許[めんきょ][しょう]がとれない、薬剤[やくざい][]資格[しかく]がとれない[など][くに]から差別[さべつ][]けていました。
しかし、[くる]しんでいる、[かべ][][]たっている人々[ひとびと][ちから][]わせて、「それは[ちが]う、みんな[おな]人間[にんげん]だ。[わたし]たちも自由[じゆう]人権[じんけん]がある」と主張[しゅちょう]してきた結果[けっか]、ようやく[すこ]しずつ人権[じんけん]があることが[みと]められたのです。
人権[じんけん]とは

個人[こじん]として尊重[そんちょう]されるために必要[ひつよう]自由[じゆう]権利[けんり]をまとめて「人権[じんけん]」といいます。人権[じんけん]は、人間[にんげん]であることによって[]まれつきもっているものです。国家[こっか]憲法[けんぽう]によって[あた]えられたものではありません。また、人種[じんしゅ][せい]身分[みぶん]障害[しょうがい]有無[うむ]などの区別[くべつ]関係[かんけい]なく、人間[にんげん]であることによって[]まれつきもっているものです。
人権[じんけん]は、その内容[ないよう]によって[おお]きく分類[ぶんるい]すると、3種類[しゅるい]あります。自由[じゆう][けん]社会[しゃかい][けん]参政権[さんせいけん]の3つです。

自由[じゆう][けん]とは、「国家[こっか]からの自由[じゆう]」といわれ、表現[ひょうげん]自由[じゆう]憲法[けんぽう]21[じょう]1[こう])・人身[じんしん]自由[じゆう]憲法[けんぽう]18[じょう]・22[じょう]1[こう]憲法[けんぽう]31[じょう][など])などがあります。運転[うんてん]免許[めんきょ]薬剤[やくざい][]免許[めんきょ][]自由[じゆう]などの「職業[しょくぎょう]選択[せんたく]自由[じゆう]」(憲法[けんぽう]22[じょう]1[こう])もそうですね。
社会[しゃかい][けん]は「国家[こっか]による自由[じゆう]」といわれ、生存[せいぞん][けん]憲法[けんぽう]25[じょう])や教育[きょういく][]ける権利[けんり]憲法[けんぽう]26[じょう])などがあります。社会[しゃかい][けん]は、国家[こっか][たい]して、支援[しえん]積極的[せっきょくてき][もと]めることができる権利[けんり]です。[わたし][たち]人権[じんけん][まも]られて、人間[にんげん]らしい生活[せいかつ]ができるため、国家[こっか]は、[たと]えば、年金[ねんきん]医療[いりょう]子育[こそだ]てなどに[かん]して、福祉[ふくし]制度[せいど]社会[しゃかい]保障[ほしょう]制度等[せいどなど]法制度[ほうせいど]十分[じゅうぶん][ととの]えなければなりません。
参政権[さんせいけん]は「国政[こくせい]参加[さんか]する権利[けんり]」といわれ、[たと]えば選挙[せんきょ][けん]被選挙権[ひせんきょけん]憲法[けんぽう]15[じょう]1[こう]・3[こう]など)があります。
ただし、この分類[ぶんるい]自体[じたい]絶対[ぜったい]というわけではありません。また、ある人権[じんけん]が、3つのうち1つだけに[かなら]分類[ぶんるい]されるのではなく、複合[ふくごう]一体化[いったいか]している人権[じんけん]もあります。国連[こくれん][つく]られ、日本[にほん]批准[ひじゅん]した『障害者[しょうがいしゃ]権利[けんり]条約[じょうやく]』では、障害[しょうがい]のある[ひと][ほか][もの]平等[びょうどう]人権[じんけん][まも]られるために、[くに]は、必要[ひつよう]法制度[ほうせいど]施策[しさく]支援[しえん]をとらなければいけないことを[さだ]めています。しかし、憲法[けんぽう]とは[ちが]って、自由[じゆう][けん]社会[しゃかい][けん]参政権[さんせいけん]という[][かた][かんが][かた]はとっていません。
[たと]えば、「聴覚[ちょうかく]障害者[しょうがいしゃ]日々[ひび]生活[せいかつ][なか]情報[じょうほう][]て、[]権利[けんり]コミュニケーション[こみゅにけーしょん]する権利[けんり]」を[れい]にあげてみます。この権利[けんり]は、憲法[けんぽう]21[じょう][こう]保障[ほしょう]されます。その権利[けんり]実現[じつげん]するために、[くに]手話[しゅわ]通訳[つうやく]要約[ようやく]筆記[ひっき][とう]派遣[はけん]制度[せいど]などの法制度[ほうせいど]施策[しさく]支援[しえん]実施[じっし]しなければなりません。つまり、「自由[じゆう][けん]」と「社会[しゃかい][けん]」が複合[ふくごう]一体化[いったいか]しているといえます。また、選挙[せんきょ]のときの政見[せいけん]放送[ほうそう]手話[しゅわ]通訳[つうやく]文字[もじ]字幕[じまく]をつけることは、聴覚[ちょうかく]障害者[しょうがいしゃ]選挙[せんきょ][けん]行使[こうし]するために必要[ひつよう]なことですので、「参政権[さんせいけん]」でもあります。
このように、障害者[しょうがいしゃ]人権[じんけん]について[かんが]えるとき、従前[じゅうぜん]の3つの分類[ぶんるい]では限界[げんかい]があるということは重要[じゅうよう]なことです。障害[しょうがい]個人[こじん]ではなく社会[しゃかい][がわ]にある、家族[かぞく]責任[せきにん]ではないという[かんが][かた][もと]づき、障害者[しょうがいしゃ]人権[じんけん][まも]るためには国家[こっか]による法制度[ほうせいど]施策[しさく]支援[しえん]実施[じっし]必要[ひつよう]不可欠[ふかけつ]であるということがポイント[ぽいんと]となります。
憲法[けんぽう]人権[じんけん]

憲法[けんぽう]目的[もくてき]は、人権[じんけん][まも]ることです。人権[じんけん][れい]として、憲法[けんぽう][]かれているのは、先程[さきほど][]べた表現[ひょうげん]自由[じゆう]人身[じんしん]自由[じゆう]生存[せいぞん][けん][ほか]にも、幸福[こうふく]追求[ついきゅう][けん](13[じょう])、[ほう][もと]平等[びょうどう](14[じょう])などがあります。

人権[じんけん]そのものについては、憲法[けんぽう][なか]で、[はじ]めの11[じょう][]わりの97[じょう]、2つのところに[]てきます。人権[じんけん]重要[じゅうよう]だから、憲法[けんぽう][なか][][かえ]説明[せつめい]しているのです。
憲法[けんぽう]は、まず[はじ]めの11[じょう]で、[わたし]たちに人権[じんけん]があることを確認[かくにん]しています。11[じょう]内容[ないよう][つぎ]のとおりです。「国民[こくみん]は、すべての基本的[きほんてき]人権[じんけん]享有[きょうゆう][さまた]げられない。この憲法[けんぽう]国民[こくみん]保障[ほしょう]する基本的[きほんてき]人権[じんけん]は、[おか]すことのできない永久[えいきゅう]権利[けんり]として、現在[げんざい][およ]将来[しょうらい]国民[こくみん][あたえ]へられる。」
[つぎ]に、[]わりの憲法[けんぽう]97[じょう]は、「この憲法[けんぽう]日本[にほん]国民[こくみん]保障[ほしょう]する基本的[きほんてき]人権[じんけん]は、人類[じんるい]多年[たねん]にわたる自由[じゆう]獲得[かくとく]努力[どりょく]成果[せいか]であつて、これらの権利[けんり]は、過去[かこ]幾多[いくた]試錬[しれん][]へ、現在[げんざい][およ]将来[しょうらい]国民[こくみん][たい]し、[おか]すことのできない永久[えいきゅう]権利[けんり]として信託[しんたく]されたものである。」と[]いてあります。
最高[さいこう]法規[ほうき]としての憲法[けんぽう]

ちなみに、その[つぎ]憲法[けんぽう]98[じょう]は、憲法[けんぽう]が「最高[さいこう]法規[ほうき]」であると[]いています。これは、[ほか][ほう]ルール[るーる][たと]えば法律[ほうりつ]条例[じょうれい]よりも、憲法[けんぽう][うえ]である、[もっと]一番[いちばん][うえ]にあるということを意味[いみ]します。憲法[けんぽう]最高[さいこう]法規[ほうき]である理由[りゆう]は、憲法[けんぽう]人権[じんけん][まも]ることを目的[もくてき]とするものだからです。ですので、人権[じんけん][うば]うような法律[ほうりつ][つく]ることは、憲法[けんぽう][はん]して[ゆる]されません。
人権[じんけん]にも一定[いってい]限界[げんかい]がある

人権[じんけん]があるから、「なんでもやっていい」というわけではありません。個人[こじん]は、自分[じぶん]だけでなく、お[たが]いに尊重[そんちょう]されるべきものです。しかし、社会[しゃかい][なか]で、[ほか]人々[ひとびと]一緒[いっしょ]生活[せいかつ]していく[うえ]で、ある人権[じんけん]と、ある人権[じんけん]がぶつかることがあります。ですので、[ひと][なぐ]っていい、[ひと]から[ぬす]んでいい[など]「なんでもやってもいい」というわけではありません。このように、人権[じんけん]にも一定[いってい]限界[げんかい]があります。
これを憲法[けんぽう]13[じょう][なか]では、「公共[こうきょう]福祉[ふくし]」という言葉[ことば][あらわ]しています。しかし、かつては、優生[ゆうせい]保護法[ほごほう]のように、「公共[こうきょう]福祉[ふくし]」という言葉[ことば]理由[りゆう]簡単[かんたん]人権[じんけん]侵害[しんがい]する法律[ほうりつ]行為[こうい][みと]めていました。
人権[じんけん]にも一定[いってい]限界[げんかい]があることはたしかですが、本当[ほんとう]に、その[じん][けん]制限[せいげん]されることが、その[ひと][けん]重要性[じゅうようせい]やその手段[しゅだん]内容[ないよう][もと]に、必要[ひつよう]最小限[さいしょうげん]で、やむを[]ないことがどうか、を[かんが]える必要[ひつよう]があります。最近[さいきん]でいえば、コロナ[ころな]感染者[かんせんしゃ]入院[にゅういん]拒否[きょひ]した場合[ばあい]罰則[ばっそく]について、議論[ぎろん]がされていましたね。差別[さべつ]偏見[へんけん][もと]づいた不当[ふとう]人権[じんけん]侵害[しんがい]にもつながりかねないケース[けーす]もありますので、関心[かんしん]をもって、議論[ぎろん]をし[つづ]けていくこと、[かんが][つづ]けていく必要[ひつよう]があります。